無宗教は人間性の否定である

世の中に悪い人間がどんどん増えています。人をだましてそれがバレると、だまされる方が悪いと言ってはばからないような人間がどんどん増えています。どうしてだと思いますか?それは無宗教の人間が増えたからです。無信心の人間と言ってもいいのかもしれません。そもそも宗教とは何なのでしょうか。国語辞典によれば、神・仏など超人間的・絶対的なものを思慕・崇拝・信仰して、それによってなぐさめ・安心・幸福を得ようとする機能とあります。神でも仏でもご先祖様でも精霊でもいい。とにかく誰かが何かが自分の行いを見ていると意識している事がここでは肝心なところです。自分のしている行為はたとえ誰も見ていなくてもお天道様が見ている。だから悪い事はできないということです。自分のした行いは消えることがなく死後に裁かれて行い相応の場所に身を置くことになる。だから悪事はやめておこうという抑止力が働くのです。ところが科学以外信じない人はそうではない。誰も見ていなければそれでいい。死んだら自分は消えて無くなるのだから死後の事などどうでもいい。刑罰があるから法律だけは守るかすり抜けるかするけれど、それ以外の人倫・道徳などはどうでもいい。人を押しのけようが騙そうが、自分がいい思いをすればそれでいいという事になります。これが科学万能時代の人間社会です。科学を否定するつもりは毛頭ありません。しかし人間は宗教という長年かけて築き上げてきた偉大な思惟的財産を捨ててしまってはいけないのです。何故なら人間が不幸になるからです。幸福な社会が不幸な社会になるからです。宗教はうさん臭い、そう思うのも無理はありません。戦後は宗教の名のもとに悪い事件が頻発しています。オーム真理教を筆頭に新興宗教で幸せになったという話は残念ながら聞いたことがありません。高い金を寄付させられた。無理やり入信させられた。サリンガスを撒いた。イスラム教と聞くとテロや戦争を思い浮かべてしまう世の中です。しかしそれでも我々は認識を改める必要があります。第二次大戦後のユダヤ人帰還運動とパレスチナ人追放、イスラエル建国が始まる以前、エルサレム市街では二千年近くの長きにわたり、ユダヤ教の信者とイスラム教の信者は平和に共存し暮らしていたのです。戦後、創価学会や幸福の科学が始まる以前に、日本人は江戸時代以来それぞれの家庭に仏壇があり、浄土真宗やら日蓮宗などのそれぞれに宗派があって、神棚を祀って拝んでいました。しかもそれらは見事に政治とは切り離されて政教分離がなされていた。だからこそ日本は秩序が保たれた平和な社会が続いたのです。はっきり言います。日本人に新興宗教は不要です。昔ながらの仏壇を家に置いて、今まで通り先祖伝来の宗派に従い仏様とご先祖様に手を合わせましょう。宗派のない日本人はいないはずです。お金のない人は段ボール箱でも構わないのです。神棚にお札を祀って地域の神様と自分の出生地の神様に感謝しましょう。今ではそのやり方すら分からない人が多いのかもしれません。まずは死後の世界を信じ、因果応報を信じましょう。自分を不幸にしないために、人類を不幸にしないために。